忘れる
半月後
引越しをしようかなと考えていた。
1週間後
3日後
プリシラアーンを聞いてはケーキをつつき、めそめそする夜を二回過ごした。
翌日
近いうちに立ち直ると分かっているからこその行動なのだけど、失恋の日々をブログに書いておくことにした。彼と別れることになった経緯はツイッターでおおあばれさせていただいたので省略して、その後の話を淡々とする場所がほしくて。何かつらいことがあって読み返したときに、「ああ立ち直り方ってこんな感じだっけな」とおぼえておきたい気持ちもある。
ホワイトデーにさよならをして、翌日の仕事は外出もなくスローペースだった。お昼休みに同僚の恋の話を聞く。あまりうまくいっていないようだけど、追いかけ方とか粘りとか、わたしにはないものだとつくづく思う。いいとか悪いとかではなくて、ただ違う。
別れた日、会ってすぐにケーキをもらった。
2月に入ったとき、彼が「職場が変わって今年は義理チョコがもらえなそう」と言っていたので、義理っぽさのあるお菓子を何種類も選ぶというふざけたバレンタインだったのだけど、そのお返しは六本木のパティスリーのホワイトチョコのムースだった。彼がわたしの家にはじめて遊びに来た初夏の日、たくさんの保冷剤とともに片手で提げてきたケーキ。
さすがに別れたその日は食べられず、翌日の夕ごはんになった。(なぜか同じものが2個入っていたので、翌々日の夕ごはんにもなった)
わたしは美大に行っていたこともあってか、昔から人を「何の利益もなくても何かを作る人」と「利益がないと作らない人」にどうしても二分してしまう。
彼は後者だと思っていたから、新しく買ったカメラで撮った、わたしの最寄り駅の映像を見せてくれた日、本当に本当にうれしかった。
「利益がないと作らない人」を下に見ているわけではないのだけど、そのときたしかに、彼の心の奥底みたいな部分に一瞬だけさわれたような気がしたのだ。神社でいうと、お賽銭箱の先の普段閉じてる扉がちらっとご開帳したときのような。
ケーキを食べながら、その映像を見た。
後ろで流れている、プリシラアーンの歌を聴いたらどんどん涙が溢れてきた。
この映像を初めて見て、初めてこの歌を耳にしたときもそれは泣いたのだけど、あのときの身を切るような悲しさはなんだったのだろう。
近くこうなること、どこかでわかっていた気がしてならない。
今日の仕事で訪れた街は、復縁して初めてのデートで行った場所だった。街のあちこちに思い出が残っていて辟易する。
最寄りの駅に戻ってきても、一緒にあの魚屋さんにホヤを見に行ったなとか、大残業の私を待っていてくれたカフェの窓とか、ネットを開けば彼の好きだったホーキンズ博士の死とか。
いつのまにか、こんなにたくさんのことを共有してきたのだなあ。見たものや聞いたことを分かち合う時間は楽しかった。出会ったころはお互い定職もお金も(今よりさらに)なくて、予防線を越えないように越えないようにとおそるおそるのコミュニケーションしかとれていなかったのに。
ずいぶん遠くまで来てしまった。それで、あっけなく終わりをむかえてしまった。