忘れる

最初のお別れのときの話。
 
3年前、時間とお金と若さとエネルギーを持てるかぎりつぎ込んで、ようやく指さきをかすめたチャンスがあった。叶えるためには日本を離れる。
彼と出会ったのはわたしがそれに向けて動いているまっただ中だったから、必然的にその目的についても話をしていた。「絶対に行ったほうがいい。行けるときに行ったほうがいい」と彼はよく言っていた。
わたしのやっていることに理解を示してくれる人が少なかったから、その言葉を聞くたびに安心できた。そのあとにいつも「行かないでとは言ってくれないんだね」となじりたい気持ちが生まれて、混乱した。
彼のために目的を捨てることは絶対にしないけれど、もしその道をわたしが自ら選んだとしても、彼は責任をとるつもりがないのだろうな。
二十何年も生きてきてやっと「人生は全て自分の決断で自分の責任」ということに気がついた瞬間だった。
 
 
当時、そんなような話を日本人ではない友達に打ち明けたことがある。「自分の目的を果たさずにはいられない。でも、さみしそうで仕方のない彼のそばにいてあげられたなら」というふうに。友達はしばらく考えてから「That’s not your job」とだけ言った。
 
復縁してからの一年間(「第二シーズン」と呼んでいた)は、まる一年かけてそれを確かめる時間だったように思う。
 
 
気持ちわるくおこがましいことに、ずっと、彼のお母さんになりたいと思っていた。彼の妹に、お姉ちゃんに、おばあちゃんに、初恋の人に、最後の恋人になりたいと思っていた。そのくせずっと一緒にいる未来がうまく思い描けなくて、些細なすれ違いを目の当たりにするたびに、自分のひとりよがりに吐き気がする思いだった。
月並みだけど、そんな些細なすれ違いがつもりつもってとうとう会うことがなくなった。きっかけはほんとうに、ほんとうにくだらないふとした瞬間にやってきて、うそでしょと思う間にも決定的な別れになっていた。
そんなものだ。
 
これからはもう、叱られる子どものような気持ちで、あまりに自分と違う彼の考えを聞き続けなくていい。別に好きでもなんでもないラーメン屋さんに並ばなくてもいい。お前と呼ばれて怒らなくていい。早朝勤務の彼が起きて最初に目にするもので気持ちがなごむようにと、夜にかわいい動物の写真を送らなくていい。
なんて自由ですばらしい。考えれば考えるほど、わたしたちは相性のいい恋人どうしではなかったし、この別れは大正解としか言いようがない。
だけどとてもさみしいから、大正解をきちんと理解するには、たぶんもう少し時間がかかる。
 
 
プリシラ・アーンは例の映像の中で、私には恋する時間がないと歌っていた。恋する時間なんてない。週に200回もキスをする時間なんて。窓辺に足をあずけて、一緒に洋画を見る時間なんて。でも、あなたといるときだけはそうじゃないよ。そういう歌だった。
普遍的な愛情表現 みたいなものをばかにしていた彼が、あの映像に当てはめるものとしてこの歌を選んだのは「私にそうあってほしい」のかな、と思っていたけど、もしかしたら、不器用なりにこめたメッセージだったのかもしれない。
今さら気づいてしまって、でももう一か月が経ってわたしは徐々に前を向きはじめていて、やっぱりそんなものなんだね。運命じゃなかった人、たくさんの発見をくれたから、わたしは次はもっといい恋をするよ。男性か女性か、人なのかものなのか、あるいはまったく違う何かに。

 

半月後

引越しをしようかなと考えていた。

思い出を土地ごと捨て去りたいとかでは決してなくて、必要以上に風通しのいいわたしの部屋はこの冬凍えるような寒さで、もう一度越冬できる自信がなかった。家賃相場が下がる季節になったら絶対に引っ越すぞと、毎晩ホットカーペットに張り付きながら決心を新たにしていた。
 
次に住む部屋はお風呂とトイレ別、と決めていた。18歳で実家を出てからずっとユニットバスの部屋を選んでいる。
物件を探していて、はたと彼がお風呂とトイレが同じ空間にある我が家をあまり好きではなかったことを思い出した。わたし自身はユニットバスでも全然平気ではないか。そんなことに気づいて、もう一段階自由になってしまった。
前々回に書いた例の映像作品が好きだったあまり、なるべく同じ町内に住み続けたいなと思ったけど、考えたらそこにこだわる必要ももうなくなっている。それでもやはり、最寄駅は変えずに家探しをすることにした。いま住んでいる場所がさらに好きになったのは間違いなく彼のあの映像があったからだけど、それに切り替えられた線路の上を、わたしはまだひとりで歩いている。
そして、それを悪くないと思っているからだ。
 
 
ここ数日になって、彼についての細かなことを思い出す時間が増えた。話していたこと、好きだった本、匂いとか歩き方、声なども。よくデートしていた街の景色から触発されて思い出すのではなくて、どちらかというと自分の記憶から泡が立ち上るみたいにふとよみがえる。炭酸みたいに、しゅわしゅわと思い出してそのうちすっきり消えてくれたらいいのにな。いまはもう、忘れて楽になりたい気持ちのほうがずっと強い。
 
これは付き合っている(そして、なんとなく別れを予見している)うちからずっと思っていることだけど、くれぐれもわたしと関係のないところで、思いきり幸せになっていてほしい。さみしい人だということはよくよく知っているから。
彼をさみしくさせたのは幼いころに家を出て行ってしまったお母さんや、早くに結婚して以降生家を省みることのないお兄さんや、もうすぐ生まれる初孫に夢中なお父さんや、手ひどい裏切りをした元彼女などなのだろうけど、その全てをずっと抱えている必要なんてないんだよと言ってあげればよかった。言えないかわりに、わたしが全部かき消してあげたいななんて考えていたけど、いつだって彼の中にいるお母さんやお兄さんやお父さんや元彼女の影に怯えていたし、出会って4年足らずの他人にそんなのむずかしかったよね。
 
誰も悪くなくて、誰も誰をも許せていなくて、そんな輪の中に長くいられるはずがない。
だから早く忘れてしまいたいな、すべて!

1週間後

家の近くに新しくできたラーメン屋さん、彼が好きそうだったからそのうち一緒に行こうと思ってたんだけどひとりで行ったったぞ!そしてなかなかおいしかった!
 
ひとりで食べても、誰かと食べてもおいしいものはおいしい。彼はよく、こんな感じでわたしが心の片隅に小さくメモしていた一緒に食べたいものや行きたいところを、「俺と一緒に行って何か変わるの?」と不思議そうにしていた。
出会ったばかり、メールが入るたびにどきどきしながら開封していた頃からそうだったから、疎ましさからくるリアクションではない(と願う)。ただ、そういった情緒のようなものがごっそり抜け落ちていた人だった。
悪気もなく、ごく自然に、人間にはじめからそんな感情がなかったかのように欠落していた。
 
 
あの日から一週間が経ち、せっかく作ったこのブログもだんだん書くことがなくなってきてさみしい。わたしがほぼもとどおりに元気になりつつあるからだ。
彼を思い出すこともだいぶ少なくなっている。
自分でもぞっとするほどの立ち直りの早さ、というか、見て見ぬふりをしていただけですべては終わりに向けて動いていたのだ。それにたぶん、お互いどこかで気づいていた。
 
 
いまの不安は、立ち直りのスピードが思った以上に早くて、これは逆に一か月後くらいに激しく落ち込むのではないか?ということなので、一か月経つまでは不定期で記録を続けたいなと思っている。

 

3日後

プリシラアーンを聞いてはケーキをつつき、めそめそする夜を二回過ごした。

 
同期には数人ずつ状況を打ち明けた(他人のとうとつな「彼氏ができました」や「別れました」宣言はどう反応するのが正解かわからなくて得意ではないのだけど、一年ほど彼女たちと関わる中で、ゆるやかな報告がスタンダードなのだと学んだ)。
そのうちの一人から、「今日先輩たちにお昼に連れ出されたとき、きみの彼氏の話になったよ。うまくやっているのかなって。先輩の一人が『とくに何も聞かないから順調なんじゃない?』と言っていて、私はそれに頷いたよ」と言われた。
気をもませてごめんね、と言いつつ、人ってわからんなあと思った。何も聞いていないと順調ということになるんだ。
 
わたしは順調なときも、そうでないときも、恋人の話を他人にすることがあまり好きではない。必要以上にプライベートや動物っぽい部分をさらすのが好きではないことにくわえて、恋話(という響きがとても若くててれる)のしかたを知らない。
20歳になるまで恋人も好きな人もいたことがなくて、高校は芸術系コースにいたので周りも恋より打ちこみたいもがある人たちばかりだった。あるいは、鉛筆を持て、粘土をこねろ、色の置き方を考えろという雰囲気がしらずしらず教室での恋話を封じ込めていただけで、していた人はどこかでしていたのかもしれない。
その後進学した美大にも、それの延長線上の空気は少なからずあった。
恋話をすることがこわい。恋人のいない人の気分を害さず、恋人のいる人のマウントにならず、あれこれ推測されないような恋話のしかたがわからない。
 
先輩たちの情報網は早いので、「報告」をするのはもう少しあと、お祭り騒ぎに乗じることができるくらい元気になってからと決めた。
 
 
週末、引きこもってめそめそすることになるのかなとぼんやり思っていたが、あまりに晴れていて、ちょうどターミナル駅まで出る用事ができたので、そこから特急電車に乗って実家に帰ってしまうことにした。
おかあさんにはすでに電話でことの顛末を話していた(余談だけど、おかあさんと彼は一度電話でバトルを繰り広げたことがあるのだけど、実際に顔を合わせたことはない)。
おかあさんは電話口で泣いた。わたしが最後、彼に反論してしまった理由に、少なからず自分が産んだ障害のある子どもが絡んでいたことが悲しかったようだった。話したことを一瞬後悔したが、なるべく誤解をとくようつとめた。弟は悪くない。弟と弟の障害がわたしの価値観を変えたことは事実だけど、それを悪いことだとわたしは思っていない。
だけど、別れのとき、「やっぱりわたしの人生は、弟に引きずられていくのかも」という考えが全くなかったとは言い切れない。これは、おかあさんには言えない。
 
わたしの実家には母と三人の弟、祖母、伯父がいて、全員が揃うとなかなかの大人数になる。たまたま末弟以外のみんながなんとなく家にいたため、六人でお昼の食卓を囲んだ。
実家は山の中で、春の野の花があちこちに咲いて、うぐいすが鳴いて、ばかみたいにのどかな光であふれていた。お彼岸が雨だというので、早めのお墓まいりにも出かけた。
一人でいるのが嫌で、ついつい家族に甘えてしまったなという話をすると、おかあさんに「気持ちの面で甘えられる人を家族って言うのよ」と諭された。
 
 
彼に甘えた思い出。わたしが仕事で大失敗をした夜、渋谷にハロウィン見物に行くことになっていた。大失敗でべこべこにへこんだわたしは、どたん場で「ごめん、今日人ごみにいけない」と電話をかけた。彼は何も言わずに待ち合わせ場所をわたしの最寄り駅に変更して、ごはんのあとに大きなパフェをごちそうして「話を聞くよ」とだけ言った。わたしが全てを話し終えたあと、至極まっとうな助言とともに、わたしの非を丁寧に分析した。
人ごみにいけなくなったメンタルを受け入れてくれたことも、大きなパフェも本当にうれしかった。助言と分析で頭は整理されて、翌日やることがはっきりした。でも、心の部分はたぶんあんまり満たされていなかった。
心の傷は自分自身で手当てしようとそのときは納得したけれど、「気持ちの面で甘えられる家族」の中で育ったわたしと彼とは、やはり家族になれなかったということなのだろう。
彼にふつうの幸せをあげたいとか思ってしまって、それでいてわたしの育った家庭もたぶん全然ふつうではなくて、叶わない夢をみていた感と、なんだか自由でのびやかなわくわくと。
 
 
 

翌日

近いうちに立ち直ると分かっているからこその行動なのだけど、失恋の日々をブログに書いておくことにした。彼と別れることになった経緯はツイッターでおおあばれさせていただいたので省略して、その後の話を淡々とする場所がほしくて。何かつらいことがあって読み返したときに、「ああ立ち直り方ってこんな感じだっけな」とおぼえておきたい気持ちもある。

 

ホワイトデーにさよならをして、翌日の仕事は外出もなくスローペースだった。お昼休みに同僚の恋の話を聞く。あまりうまくいっていないようだけど、追いかけ方とか粘りとか、わたしにはないものだとつくづく思う。いいとか悪いとかではなくて、ただ違う。

 

別れた日、会ってすぐにケーキをもらった。

2月に入ったとき、彼が「職場が変わって今年は義理チョコがもらえなそう」と言っていたので、義理っぽさのあるお菓子を何種類も選ぶというふざけたバレンタインだったのだけど、そのお返しは六本木のパティスリーのホワイトチョコのムースだった。彼がわたしの家にはじめて遊びに来た初夏の日、たくさんの保冷剤とともに片手で提げてきたケーキ。

さすがに別れたその日は食べられず、翌日の夕ごはんになった。(なぜか同じものが2個入っていたので、翌々日の夕ごはんにもなった)

 

わたしは美大に行っていたこともあってか、昔から人を「何の利益もなくても何かを作る人」と「利益がないと作らない人」にどうしても二分してしまう。

彼は後者だと思っていたから、新しく買ったカメラで撮った、わたしの最寄り駅の映像を見せてくれた日、本当に本当にうれしかった。

「利益がないと作らない人」を下に見ているわけではないのだけど、そのときたしかに、彼の心の奥底みたいな部分に一瞬だけさわれたような気がしたのだ。神社でいうと、お賽銭箱の先の普段閉じてる扉がちらっとご開帳したときのような。

ケーキを食べながら、その映像を見た。

後ろで流れている、プリシラアーンの歌を聴いたらどんどん涙が溢れてきた。

この映像を初めて見て、初めてこの歌を耳にしたときもそれは泣いたのだけど、あのときの身を切るような悲しさはなんだったのだろう。

近くこうなること、どこかでわかっていた気がしてならない。

 

 

今日の仕事で訪れた街は、復縁して初めてのデートで行った場所だった。街のあちこちに思い出が残っていて辟易する。

最寄りの駅に戻ってきても、一緒にあの魚屋さんにホヤを見に行ったなとか、大残業の私を待っていてくれたカフェの窓とか、ネットを開けば彼の好きだったホーキンズ博士の死とか。

 

いつのまにか、こんなにたくさんのことを共有してきたのだなあ。見たものや聞いたことを分かち合う時間は楽しかった。出会ったころはお互い定職もお金も(今よりさらに)なくて、予防線を越えないように越えないようにとおそるおそるのコミュニケーションしかとれていなかったのに。

 

ずいぶん遠くまで来てしまった。それで、あっけなく終わりをむかえてしまった。